俺は俺だ

2014年2月2日 自分、 己


俺が決める俺だ


今、この瞬間、俺が決める 俺だ
俺は幼くして人間の本質を見抜ける能力に長けていた。感覚的といってもいいかもしれん。
その人の話し方、表情、態度からだいたいの性格を読み取る事が出来たのだ。

で、かならずしも全員が理想の性格をしているわけではない。精神的に確立しているわけではない。算数で満点取れるわけではない。二階から飛び降りてもヘッチャラなかおをしているわけじゃない。
他人の不足している部分、足りすぎている部分には想像上の何かを補って、フィルター越しに世界を見ていた。そうじゃないとバランスがとれない気がしたのだ。
人は平等であってしかるべきで、人より何か劣っている人や何かに優っている人は必ずなにかの弱点や強みがあって、結局はみなプラマイゼロになると思っていた。だから自分には限界があって当然だと思っていたし、またある程度は人より出来ることがあってもそれは当然だと思っていた。つまりその意味での個性があると。

中学に入りそのころの自由な考えは見事にたたき壊された。
時間がなくなったせいもあるかもしれないが、
根本的にゆらいでしまっている部分があったのだ。

毎日が同じことの繰り返し毎日が『自分という存在を偏差値という数字へと還元する悪夢のような作業』どんなにがんばっても終わりは見えてこないわけのわからない強迫観念に押され納得できないまままた今日を迎えてはその繰り返し

もともと自分にとっての自由な時間が欲しかった俺にとってはクソのような生活であった。
なーにが偏差値だ。笑わせるな。
だいたい偏差値ってどうやって計算出してんのか未だにわからん

しかもこのままじゃ未来が見えてこない。 
だいたい勉強して何が残る?
好きなことを仕事にするにはどうすればいいんだ?

みえないんならまずは勉強しなさい
将来いい大学に行けるよみんながんばってるからお前もやらなきゃ
好きなことをするためにべんきょうするんでしょうが

アホか

ふざけんな・・・

勉強できた奴だけがいい思いをするなんてわらかすな。
そんなんただのゲームじゃねーか。アホか。バーカ。クソ。死ね。
俺はゲームじゃなくて人生について真面目に考えてんだ。
そっちも真面目に答えろ。

答えられる奴は誰もいなかった。

俺はその時全てを悟った。多くの人間――俺の周りの大人達――について何が”欠けて”何が”足りて”いるのかを。

やつらには  自 分 の 魂  が欠けている

自ら創造することの喜び、生きる喜び、自由につっ走る事への喜び、宇宙を解明する喜び、自由に感嘆し、はしゃぎ息をする喜び――それをもっとも純粋な形で享受する魂が、欠けていたのである。

そして、何が足りているのか。今までやつらを生かしてきたものはいったいなんだったのか。体中に満ち溢れているエネルギーを生み出す最大の要因は、いったいなんだったのか。

そう
あいた穴をふさいでいるのは、この社会の最大の汚物、常識という名のクソのような束縛だけだったのだ―――。

それを知った時、俺ははっきりと目標が見えた。

自由に生きる世界を作りたい。

俺はもう、こんなのは嫌だ。強いはずのものが何かを我慢しなくちゃならなくて、上っ面だけキメまくって、他人を利用しまくってそのくせ他人には何も与えず、ヘラヘラ笑って生きてる吸血鬼のような奴に押さえつけられて、好きなだけ血を吸われ、何もする事もなく死んでいく。そんなのは絶対に嫌だ。

もっとみんな弾けるべきだ。なにをやっているッ

OK、それでなにもかもうまくいく。

自由になるんだよ!

もっとすきなだけ、

ぶっ壊せ!! 行け! 跳べ! 走れ! やるんだ! なにかを! 
つうか、孤独こそが強さだと信じてるから。
今の俺には・・・・それしかないんで、な。

でも絶対信じてる。信念は何よりも強いって。

俺は折れない、

だってそれこそが信念なのだから。な。

そうだよ信じちまえ
そうすりゃなにも怖くねえよ
このブログ自体がチラシの裏みたいなもんだが、
此処はいわゆる、チラシの裏の裏。
っておもてじゃねーかぁアアーッ!!!!(////)

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