直感の真価は―第一章 フラクタルに学ぶイアン・マルカムのカオス理論
2007年9月22日 思考/創造 コメント (3)長年考えてきたことの一つではあったが・・・
やはり直感というものにはそれ自体に理由がある。
俺にそれを教えてくれたのは他でもない。
マイケル・クライトン原作の小説、”ジュラシック・パーク”
(正直、この作品の凄い所はスティーヴンスピルバーグの持つエンターテイメント性を表現した映画化版だけではなく、豊富な科学的知識と表現力を持つSF作品の大御所マイケル・クライトンの小説によるものだと深く感じる)
俺はまだ上巻しか読んでいないのだが(買ったはずの下巻はどこかにいってしまった)
その中に登場するイアン・マルカムという数学者が度々口にする”カオス理論”。
これがひたすら面白い。脳内革命を俺の頭ン中に生み出してくれた。
元々、映画を見た時点で俺の理解度は際限なく低く何のことかサッパリわからんがとりあえず見るという表面的なものであった。
バタフライが何とか。一体マルカムは何が言いたいのかと。故に俺はその裏側を知りたかった。そしてこの本を手に取ったのだ。
彼はこの理論を熱烈に語り、自らがジュラシックパークに置かれている状況をこれに当てはめると非常に危険であると言う。
マルカムは同行していた古生物学者のグラント博士にカオス理論を説明する際、”フラクタル”を紹介する。
フラクタルとはフランスの数学者ブノワ・マンデルブロ/ Benoît B. Mandelbrot が導入した幾何学の概念で、
その図形は通常のユークリッド幾何学――□や△の図形――と違い「 拡大するにしたがって細部がより複雑になる 」といった特徴を持つ。
(エヴァンゲリオンのリリスの下半身を想像してもらうと分かりやすい。かも。)
海岸線や山の凹凸にこれと似た特徴を見て取れる。
遠くから見るとそれは目に見えて凸凹している。そして拡大するとそれには更に無数の凹凸―木々の茂み、突出した岩礁等―が発見できる。
それを肉眼で確認し、更に顕微鏡で拡大すると――というように、自然界の物質は尺度を変えると全て同じに見えるというのがフラクタルの極論である。
はぁそうなんですかと言いたいところであったが、
考えてみると我々の住んでいる地球そのものにもこれと同じ構造が見て取れるではないか。
地球は球形をしている。これは誰だってそう思うだろう。
しかし、地球の表面は凸凹しているのだ。
それは、地球が単なる球体ではなくさまざまな物質を内包し、地球自体がそれによって構成されていることを意味している。
そして、自然界における全ての物質は、凸凹しているのだ。
それは、自然界の物質が無数の原子から成り立つ分子によって構成されたものだということを意味している。
そして原子は素粒子を内包し、超弦理論を除けば、自然界における全ての物質は最終的に球形をしているのだ――そして表面はきっと凸凹だ。
球体が――それはもう途方もないほど多くの球体が、悠久の時を経て、さまざまな形へと変化を遂げ、積み重なった結晶は――なんと球体だったのだ。
(はじめから球体だったじゃないかというツッコミはあえて言おう無しであると)
マルカムはこうも言っている。
「一日は人生の全体に相似する」つまり――「人間の一生についても同じことが言える」と。
「あることを始めてもしまいには違うことをやり」
「人生をまっとうし振り返ってみると、人の一生はそんなことの繰り返しだということに気づく」
――半端だが眠いんで後章に続く…つかむしろ追記する。これもカオスの仕業である。直感を読み解くキーワードは"予測不可能性"である。
ここで直感というものについて考えてみる
直感とは何か。
それはすべての論理を飛躍し頭に浮かんできたインスピレーションを感じることだ。
直観に従うか、どうかということは別の話だが、それは全ての人間に平等に訪れる神の啓示である。
しばしばそれは我々に、それによって引き起こされるある種のアイデアを基にした行動を起こさんとを促す。
例えば漠然と買い物に行った時にバナナが買いたいかオレンジが買いたいか、この二つに特に容量質量値段味の好みなどの違いが特になかった場合、
その選択は直感による決定に任される。
この場合どちらを選んだところでその後の生活において特に影響はないように思える。
しかし、それは確かに影響しているのだ。
バナナは果物の中でもタンパク質、カロリーを多く含有し、多量の食物繊維を所持している。
ビタミンAの所有率は果物中でもトップレベルらしい。
一方オレンジはビタミンCを豊富に含み、これが肌を健康に保つ。ビタミンB1、B2等ビタミンの宝庫といったところだろう。そして多量の水分を持つ。
これを「果物」という括りでどちらか一方を直感的に選択した場合、
それを摂取した後に起こる肉体での化学反応は全く異なるものが起きているのだ。
我々の考えている以上に。それは歴然と。
オレンジに含まれるビタミンは酵素の活性を促し、これが体内におけるエネルギー合成を活性化させる。それによって取り入れられた食物は効率よく消化吸収され、程なくエネルギーとして放出される。
つまりオレンジは、どちらかというと体内における栄養素を効率よく分解吸収する潤滑剤として機能するのだ。そして豊富に含まれる食物繊維と水分によって腸内を洗浄する。クリーナーのような役割だ。
一方バナナは、多くの糖質とカリウムを含み、糖質は澱粉、ブドウ糖、果糖、ショ糖など、様々な糖質が含まれており、それぞれ体内に吸収される時間が異なる。故に長時間の活動におけるエネルギー源となりじわじわと肉体にエネルギーを浸透させてくれる充電器のような存在だ。そしてタンパク質は肉体そのものを構成する。
俺はいまテキトーにこの2者を選択しググりながら比較してみたがこれだけの違いがあったようだ。
似たような二つのもの、代わり映えしなようなものの選択にも、その後に引き起こされる結果は全く異なってくる。
Butterfly Effect.
そして人生とはそのような選択の積み重ねによって出来上がっていくのだ。
ではそれを引き起こしたのは誰か?
それが直感だ
我々の人生における様々な出来事―その節々に現れる何気ない選択
それを決めているのが直感そのものであり、論理と理性を超越した想像すらできない結末へと我々を誘う
ここで論理や合理性というものの重要性が見えてくる
それそのもののもたらす結果のことを言ってるのではない
それ以外の部分に目を凝らすことができるという点においてだ
その間だ
計算不可能、予測不可能な闇の中に
そこに神は存在する
やはり直感というものにはそれ自体に理由がある。
俺にそれを教えてくれたのは他でもない。
マイケル・クライトン原作の小説、”ジュラシック・パーク”
(正直、この作品の凄い所はスティーヴンスピルバーグの持つエンターテイメント性を表現した映画化版だけではなく、豊富な科学的知識と表現力を持つSF作品の大御所マイケル・クライトンの小説によるものだと深く感じる)
俺はまだ上巻しか読んでいないのだが(買ったはずの下巻はどこかにいってしまった)
その中に登場するイアン・マルカムという数学者が度々口にする”カオス理論”。
これがひたすら面白い。脳内革命を俺の頭ン中に生み出してくれた。
元々、映画を見た時点で俺の理解度は際限なく低く何のことかサッパリわからんがとりあえず見るという表面的なものであった。
バタフライが何とか。一体マルカムは何が言いたいのかと。故に俺はその裏側を知りたかった。そしてこの本を手に取ったのだ。
彼はこの理論を熱烈に語り、自らがジュラシックパークに置かれている状況をこれに当てはめると非常に危険であると言う。
マルカムは同行していた古生物学者のグラント博士にカオス理論を説明する際、”フラクタル”を紹介する。
フラクタルとはフランスの数学者ブノワ・マンデルブロ/ Benoît B. Mandelbrot が導入した幾何学の概念で、
その図形は通常のユークリッド幾何学――□や△の図形――と違い「 拡大するにしたがって細部がより複雑になる 」といった特徴を持つ。
(エヴァンゲリオンのリリスの下半身を想像してもらうと分かりやすい。かも。)
海岸線や山の凹凸にこれと似た特徴を見て取れる。
遠くから見るとそれは目に見えて凸凹している。そして拡大するとそれには更に無数の凹凸―木々の茂み、突出した岩礁等―が発見できる。
それを肉眼で確認し、更に顕微鏡で拡大すると――というように、自然界の物質は尺度を変えると全て同じに見えるというのがフラクタルの極論である。
はぁそうなんですかと言いたいところであったが、
考えてみると我々の住んでいる地球そのものにもこれと同じ構造が見て取れるではないか。
地球は球形をしている。これは誰だってそう思うだろう。
しかし、地球の表面は凸凹しているのだ。
それは、地球が単なる球体ではなくさまざまな物質を内包し、地球自体がそれによって構成されていることを意味している。
そして、自然界における全ての物質は、凸凹しているのだ。
それは、自然界の物質が無数の原子から成り立つ分子によって構成されたものだということを意味している。
そして原子は素粒子を内包し、超弦理論を除けば、自然界における全ての物質は最終的に球形をしているのだ――そして表面はきっと凸凹だ。
球体が――それはもう途方もないほど多くの球体が、悠久の時を経て、さまざまな形へと変化を遂げ、積み重なった結晶は――なんと球体だったのだ。
(はじめから球体だったじゃないかというツッコミはあえて言おう無しであると)
マルカムはこうも言っている。
「一日は人生の全体に相似する」つまり――「人間の一生についても同じことが言える」と。
「あることを始めてもしまいには違うことをやり」
「人生をまっとうし振り返ってみると、人の一生はそんなことの繰り返しだということに気づく」
――半端だが眠いんで後章に続く…つかむしろ追記する。これもカオスの仕業である。直感を読み解くキーワードは"予測不可能性"である。
ここで直感というものについて考えてみる
直感とは何か。
それはすべての論理を飛躍し頭に浮かんできたインスピレーションを感じることだ。
直観に従うか、どうかということは別の話だが、それは全ての人間に平等に訪れる神の啓示である。
しばしばそれは我々に、それによって引き起こされるある種のアイデアを基にした行動を起こさんとを促す。
例えば漠然と買い物に行った時にバナナが買いたいかオレンジが買いたいか、この二つに特に容量質量値段味の好みなどの違いが特になかった場合、
その選択は直感による決定に任される。
この場合どちらを選んだところでその後の生活において特に影響はないように思える。
しかし、それは確かに影響しているのだ。
バナナは果物の中でもタンパク質、カロリーを多く含有し、多量の食物繊維を所持している。
ビタミンAの所有率は果物中でもトップレベルらしい。
一方オレンジはビタミンCを豊富に含み、これが肌を健康に保つ。ビタミンB1、B2等ビタミンの宝庫といったところだろう。そして多量の水分を持つ。
これを「果物」という括りでどちらか一方を直感的に選択した場合、
それを摂取した後に起こる肉体での化学反応は全く異なるものが起きているのだ。
我々の考えている以上に。それは歴然と。
オレンジに含まれるビタミンは酵素の活性を促し、これが体内におけるエネルギー合成を活性化させる。それによって取り入れられた食物は効率よく消化吸収され、程なくエネルギーとして放出される。
つまりオレンジは、どちらかというと体内における栄養素を効率よく分解吸収する潤滑剤として機能するのだ。そして豊富に含まれる食物繊維と水分によって腸内を洗浄する。クリーナーのような役割だ。
一方バナナは、多くの糖質とカリウムを含み、糖質は澱粉、ブドウ糖、果糖、ショ糖など、様々な糖質が含まれており、それぞれ体内に吸収される時間が異なる。故に長時間の活動におけるエネルギー源となりじわじわと肉体にエネルギーを浸透させてくれる充電器のような存在だ。そしてタンパク質は肉体そのものを構成する。
俺はいまテキトーにこの2者を選択しググりながら比較してみたがこれだけの違いがあったようだ。
似たような二つのもの、代わり映えしなようなものの選択にも、その後に引き起こされる結果は全く異なってくる。
Butterfly Effect.
そして人生とはそのような選択の積み重ねによって出来上がっていくのだ。
ではそれを引き起こしたのは誰か?
それが直感だ
我々の人生における様々な出来事―その節々に現れる何気ない選択
それを決めているのが直感そのものであり、論理と理性を超越した想像すらできない結末へと我々を誘う
ここで論理や合理性というものの重要性が見えてくる
それそのもののもたらす結果のことを言ってるのではない
それ以外の部分に目を凝らすことができるという点においてだ
その間だ
計算不可能、予測不可能な闇の中に
そこに神は存在する